ジャンルは無い、同じ事はしない、他に居ない、それが「 クイーン」

1975年に発売されたイギリスのバンド、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」は、6分という長い曲でありながら、それまでに無い、聴いたこともない、歌詞もよく分からないけど、聴くものを惹きつける魅力的なその曲は、当時の批評家の批判を受け、また、長さゆえにラジオ局で掛けられづらくても、大ヒットしました。

どなたでも、一度は聴いたことのある印象的な曲、それがクイーンの「ボヘミアン・ラブソディ」ですね。

 

フレディが逝去した後の1992年に公開された、アメリカの映画で、オースティン・パワーズシリーズで、その後売れっ子となる、マイク・マイヤーズ主演の「ウェインズ・ワールド」では、クイーンの名曲が数曲フューチャーされて「ボヘミアン・ラプソディ」のギターソロの部分で、車に乗っている二人組が、ヘッドバンキングをやる場面がありますが、覚えていませんか?

日本では、全然ヒットしませんでしたが、このウェインズ・ワールドのお陰で「ボヘミアン・ラプソディ」は、発売から17年を経て、再び、多くの国で1位を取ります。

今でもそうかわかりませんが、2010年であれば、ビートルや、レッド・ツェッペリン、エルトン・ジョンを抑えて、最もイギリスで売れたシングルは、この「ボヘミアン・ラプソディ」なのです。

今回のこの映画では、そのウェインズ・ワールドに出ていたマイク・マイヤーズが、クイーンの所属音楽会社のプロデューサー役で出演していて「車に乗っていたら、自然にヘドバンする様な曲を作ってもらわないと困る」と言うんですが(笑)これ、完全にネタです!

 

そして、2002年にギネスブックで有名なギネス社が「英国史上最高のシングル曲は?」というアンケートで、何とビートルズの「ヘイ・ジュード」「イェスタデイ」、ジョン・レノンの「イマジン」を抑えて、このクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」が1位になります!

ご存知でした?これ、マジですからね!

 

僕も、最初に聞いたのは、お年玉を貯めて買った、ラジカセ(死語ですね)で、NHK落語特選をいつも聞いてたんですけど、小学校高学年になると、色気付いてきて、FMチェックとかする様になるんですよね(笑)

そこで知った、洋楽という世界!!!

その中で初めて聞いた「ボヘミアン・ラブソディ」の衝撃、そしてすぐに始まるMTVの世界でのPVを見たときの衝撃、何だこれという感覚と、眼からも、耳からも離れない、これが楽曲の持つ凄さだと思うんですよ。

 

で、中学生になって、英語を学ぶ頃、少しづつ、歌詞の意味がわかってきます。

「ボヘミアン・ラプソディ」は、歌い始められてから、メロディが転調したところで、フレディ・マーキュリーはこう歌います。

Mama, just killed a man  Put a gun against his head  Pulled my trigger, now he’s dead」と、、、

当時は、エアチェックするか、ライナーノーツを手に入れるしかありません、今は簡単にググれますが(笑)あの頃は、図書館に探しに行って、司書の方の個人的な持ち物のライナーノーツを見せてもらい、訳詞を教えてもらった記憶があります。

衝撃ですよね「お母さん、今ね、人を殺したよ」で始まるんですから。

 

今日、この伝説のイギリスのバンド、クイーンをテーマにした映画「ボヘミアン・ラプソディ」を朝一で観てきました。

もちろん、映画です、フィクションです、事実とは色んなところで違うんでしょうが、それも「作品」というものの特性です。

いやぁ、泣きますね。もう、じわじわ来ますよ。

 

そして、この「Mama, just killed a man」の意味が、僕なりに腹落ちしました。

 

そして、「We are the champions」が、会社のコンベンションで掛かると、僕には、違和感がある理由も分かりました(笑)

フレディ・マーキュリーという稀代のパフォーマーの凄さを、映画を通して感じることが出来て、今の自分が知ることができたのは、この時期だからかな?と、痛切に感じる事ができました。

 

 

ざっきーです、お久しブリーフです。

いろいろもろもろございまして、なかなかブログは書けないというか、時間がないというか、休日は疲労困憊で、ものにならないというか(笑)

でも、クイーンは大好きなバンドでして、いろんな思い出があるので、ブログに書いてみました、読んでね〜

 

さて、この映画は、ソロアスター教徒で、イギリス領ザンジバル島での迫害からイギリスに逃れてきた、移民であり異邦人であるフレディ・マーキュリーを中心とした、クイーンというバンドの物語です。

フレディ自身の性的嗜好との葛藤や、実の家族や、パートナー、そして、バンドメンバーや、取り巻く人々との、成功と破滅、そして再生の物語です。

 

学生バンドをやっていながら、天文学者を目指していた、ギタリストのブライアン・メイと、歯科医を目指していたジョン・テイラーと出会うところから、始まりますが、そもそもこの段階から、格差があるのが分かります。

そう「階層が違う」のです。イギリスという国は、職業までがレイヤー化されている、階層社会だと理解しています。

 

それでも、フレディは天性の才能で、その「違い」を越えていきます。クイーンの物語とは「多様性」についての物語なのだと、僕は思います。

この映画でも、その点は端々に表現されていました。

 

そもそも、ロック(クイーンをロックと括っちゃっていいのかどうかはありますが、、)なんて、異端だし、昔は不良の音楽(いつの時代やw)だった訳で、自身を使っての表現というのは、とても凄い事なのです。

他人とは違う、過去にはない、自分が良いというものを信じる、自分が生み出すために妥協をしない、、、

まあ、そういう意識は持てますが、実際に「行動」するのには、覚悟がいります、相当に覚悟がいります、ああ、こんな文章じゃないぐらいの、覚悟がいるでしょう。

映画の中では、フレディは、クイーンがバンドとして大成していく過程で、自分自身の性的嗜好に気付き、向き合うことになります。

以前からのガールフレンドであるメアリー・オースチンに対して、とても大事な人生のパートナーに、この性的嗜好について告白をするというのは、、、

それが「Mama, just killed a man」そう、彼がそれまでの彼自身を殺したのかもしれませんね。この映画では、そう解釈されていて、僕もそれに同意できました。

 

最近「多様性」という言葉がもてはやされています。

そりゃ違いってのは、大事な事だと思うんですが、でもね「多様性」って、定義づけの仕方で、変わってしまう言葉なんだよね。

例えば、男と女っていう世界を考えた時には、多様性ってのは、男性から見たら女性の事だし、女性から見たら男性の事に思えるんだけど、それは、「男性と女性という2つの性しかないという同質性」の世界観に過ぎないんだよね。

じゃあLGBTはどうなるの?

気付きました?

そもそもの多様性(ダイバーシティ)というのは、ある同質性(ユニバーシティ)の中での差異であって、どこを基準にするのか、によって相当に多様性の近さや遠さが、変わっちまう概念なんだよね。

ある意味、「多様性」というのは使い勝手の良い言葉で、そこに「共感性」なんてものを持ち込んだ時には、最悪の世界になると思うんだよね。

そう、分かりやすく言えば、某2◯時間テレビとかで、いろんな多様性の話をしているのに、最後にサ◯イをみんなで歌うって、どうなん?(笑)みないな事ね。

でもさ、フレディも、共感を得たいんだよ、家族がほしいいんだよ、孤独は嫌なんだよ、だから「共感性」をまとった何かに、捕らわれていってしまう、、、

フレディほどじゃないけど、いろんな方の人生に寄り添ってきた僕には、そうね、僕自身もそうだけど、本当の多様性を理解し合う事ができて、本当の繋がりになるには「共感性を捨てる」という事が大事なのかもしれないと、映画を見ながら、感涙で涙を流しながら思った次第です。

クイーンというバンドは、本当にいろんな才能の集まりによって、昇華されたバンドだからです。ひとりひとりが違う事、才能の大小ではなく、ひとりひとりは違っても、クイーンという「ビジョン」は同一なのだから、それぞれの違いを認め合ってるから、偉大な永遠に人の心に残る楽曲が生み出されたのだと思うのです。

 

以前に、フレディ・マーキュリーが、ツアーに臨む心情を、インタビューで答えていたんだけど、確かこんな感じ。

 

「ツアーの時に、最も大事にしているのは、アリーナの最後列にいたり、もしかしたらチケットを買う事ができなかったかもしれないファンと、一体になれるように心がけている。
学校や、社会や、家庭などに、居場所がない人にこそ、クイーンの音楽を聞いて欲しいし、僕自身はそうゆう、いじめられてたり、さげすまされたいたり、排除され掛けている人を応援したいし、そういう人を励ます力が、クイーンの楽曲にはあると信じている」

 

ごめん、うろ覚えだけど、そんなセリフを高校生ぐらいで読んだ事があってから、ますますフレディのファンになったんですよね。

そう、だから、

「We are the champions」は、勝者を称えている歌ではなくて、勝っていなくても、普通でも、希望が持てなくても、みんなそれぞれが勝者だよって、人生の勝者かどうかは、自分が決めるんだよって、そうゆう歌詞なんだよね。

だから、コンベンショとかで使われるとね、ゲンナリするんだな(笑)フレディって、本当に弱者に、優しい視線を向けていた人だったのじゃないのかなって、今更ですが思いました。

 

この映画って、監督のブランアン・シンガーは途中で投げ出すし(笑)制作あ発表されてから完成するまでに数年を要しているし、主演は決まらないし、極論だけど、そもそも、エイズで死んでしまう男を主人公にしたゲイ映画なんです。

時代背景もあると思います。僕自身はLGBTのクライアントがいらっしゃるので、ほんの少しだけ「多様性」と言われながらも、同質圧力の社会に押しつぶされそうになっている方の気持ちを知っている方だと思います。

実は、最近になってLGBTの方々に「共感性」という衣をまとって、繋がることや、群れることを強制していません?

共感などしなくても、丸っと他人の多様性を受け入れる事ができれば済む話を、混乱させているんじゃないのかな、って映画を見ながら、改めて思いました。

 

さて、映画では、最後にライブ・エイドでの、ロックの聖地、ウエンブリースタジアムでのクイーンのライブを再現さていますが、これが圧巻です!

実際のライブ・エイドでのライブは、いろんな著名人が出ていますが、それぞれ持ち時間20分で、ノーギャラだからそんなに激しいライブアクトを見せていないんだけど、このクイーンのライブアクトは、後に20世紀最高のアクトと呼ばれる程になります。

これによって、100万ポンドという募金額が、クイーンのライブが放映されることにより、急激に募金が集まり、達成できたという真実がありますしね。

まあ、大画面で見てください、はい、泣きますよ!ほんと、これ、凄いから!

 

そして、あくまでも映画だけど、伝わってくるのは、最近もてはやされている「共感性」などという上っ面じゃなくて、心の底から、体の芯から込み上げてくる、本当の意味での「人」としての同質性が、ライブでの一体感となり、地響きのように伝わってきますから。

クイーンの音楽を聴いたことのある方、孤独感に苛まれている方、関係性に依存しているなあと思われている方、人間関係で悩まれている方、映画ではありますが、稀代のパフォーマーであったフレディ・マーキュリーという人の生き様を通じて、少しだけヒントを受け取れるかも知れません。

僕は、大画面で見ていただきたい映画だし、確かに10年前だと、公開できないかもね、とも思いましたし。映画の文脈だけでなく、映画の中でかかる楽曲に、身を委ねてみてください、クイーンというバンドの楽曲は、それは愛に溢れていることに、気がつかれると思いますから。

 

ああ、本当に見にいってよかった。

最近、30代のイケイケの経営者の方々とお話しをする機会があり「共感性とは、同質圧力ではないのか?」というテーマを話す機会が多いので、今後「多様性」と「共感性」を掘り下げてみたいと思います。

 

最後に、映画での本当のライブ・エイドでのクイーンのライブアクトです。

圧巻ですよ!!!

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木﨑 利長

木﨑 利長

ざっきー
1968年名古屋市生まれ。金融機関に勤務。クライアントの事業価値を向上させる事を目的とし、仕事を通して取り組んでいます。
化学メーカーの住宅部門に約9年。1999年2月生命保険会社に、ライフプランナーとして参画。
具体的には、上場企業を含む約80社の親密取引先のご縁を中心に、生命保険契約をお預かりしており、財務や資金繰りといった経営課題ついての改善や、売上を伸ばすための営業研修など、お客様の事業価値を向上させるための具体的なソリューションを提供し、経営者の弱音をも受け止められる担当者を目指し日々精進中です。
 (※このブログでの意見は全て個人の意見であり所属する団体の意見を代表するものではありません。)

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