スタンフォード監獄実験ってご存知?人は「場の力」に抗えないのかも

今年度から、縁があって所属している会社のチームで、新人さんが多くいらっしゃる状況で仕事をしています、ざっきーです。

僕らの職種は、生命保険契約の募集人で、かつ、入社し数年が経過する(僕の頃は2年)と完全歩合制の報酬体系となる営業職ですから、同僚であっても、成果が同じになるわけではありません。

本質的には業績をシェアできませんし、そうゆうことがしたいなら、募集代理店という仕組みがありますので、そちらを選択するのが真っ当な話という「同僚であっても、先輩、後輩であっても、ライバル」という関係性の中で仕事をしております。

 

そう、助けてあげることはできませんし、自分でなんとかするしかありません。

 

サラリーマンと違ってフルコミッションというのは、報酬は青天井かもしれませんが、ダウンサイドリスクもあるということです。

とても簡単なファイナンス理論で「リスクとリターンは、トレードオフの関係にある」ということです。

ハイリターンを求めるならハイリスク、ローリターンを求めるならローリスクです。

そう、リスクとは不確実性(危険じゃないよ)と訳すのが正確で、もっと本質を言えば「ぶれ幅」のことです。

 

しかも、中途採用だけのリクルートなので、参画者はサラリーマンという安定した身分を捨てて、個人事業者という収入が上下するリスク(不確実生)を理解して、参加を決意しているはずなんですが、新人と話していると、認識のズレがあることに、最近気づきました(笑)

 

最近は、社内の教育システムが凄いので、理想も理念も高く、体系的な学習テキストや、実践的なロールプレーでなどを行い、トレーニングを積み重ねている限り、本来あであれば、どのような状態でも営業のできる能力がついているはずなのに、なぜか実績が伴わないのです。

 

僕が今いる世界は営業会社ですから、業績の棒グラフを見れば一目瞭然。

まあ、うちの場合、デイリーで営業ランクは更新されますので、見ればわかるわけでして、突っ込まれれば言い訳も何もありませんし、業績を伴わなければ、発言権すらありません。

ある意味、清々しいまでのホワイト企業です(笑)

業績=報酬である限り、ブラックにはなり得ませんからね♪

 

さて、そんな現状で、ふと思い当たったのが「場の力」というものです。

 

どうも話を聞いていると、理念理想が先に立って、本来の立ち位置や、ビジネスである、ということを忘れがち、、、

それに、基本は歩合給なんだから、売らなきゃ経済的に死んじゃうんだけど、どうもコンサルティングとか、プランニングとか、かっこつけすぎじゃない?って思うのです。

 

売れよ、営業なんだから、逃げるな、現実から(笑)

どんな事業も売上がなければ、どんな綺麗事をいっても、潰れるんよ。これファクト(事実)ね。

 

でもね、場の雰囲気が、生ぬるかったりすると、引きずられてしまって、結果、自分自身を客観的に見ることができてないような気がします。

 

これ、経営者の皆さんも感じたことありませんか?

セミナーマッチョと呼ばれ、インプットばかりして仕事はされているんだろうか?と思われる方や、飲み会が目的で群れる方々がいらしたり、という状況に接したことありませんか?

自主参加での集いなのに、なぜか「愚痴」が中心となったり、固定化された序列の中で、支配被支配されることでの承認欲求が満たされる関係性になったりと。

僕の業界でもそうですか、これ、どんな業界でもあることなんですよね。共通の何かがある方と、一緒にいると安心できる「同質化の虜」というやつです。

 

あのね、いいとか、悪いとかの話をしたいんじゃなくて、人間関係のメカニズムの話ですから。

僕が収益を上げる目的で、セミナーの開催とかするなら、セミナーマッチョをリスト化して呼ぶもん(笑)とても大事なお客様ですからね、マーケティングのペルソナとしては。

 

もう一度言いますよ、いいか悪いかじゃなくて、現状に不満なら、だいぶ引い客観的に自分を見ないといかんよ、誰も何もしてくれないよ、って話でから、お間違いのないように。

 

さて、この「同質化の虜」という行動から考えれば、売れない連中で群れるし、業績が同じぐらいので群れる(笑)

言葉はきついけど、売っている人は、そんな時間も、意味もないから、群れないし、まあ、お客様の方に時間を圧倒的に掛けています。

群れる相手が違う、ということです。

 

それにね、「同質化の虜」の対義語は「自己研鑽」だから。

 

どうも、そのあたりが、抜け出させなくなるぐらいの同質化をさせよう、させようとする圧力を、最近、いろんなところで感じるので、書いてみたいなと思ってのです。

 

それで、思い当たったのが、心理学の世界では有名な「スタンフォード監獄実験」というやつです。

 

14172020_1135375593207473_50376226_n

 

ざっきーです。経営者専門の保険屋で、大好きなお客様にだけお節介を焼いて、あーだこーだいいながら伴走し、教えていただいたビジョンを達成のお手伝いをしております。

そうすると、途中ではいろんなリスク(不確実性)にさらされますからそれらからお守りし、結果、お客様の事業価値がめっちゃ上がりますので、どう事業を承継していくかまで、長〜いお付き合いをさせて頂きたいなと考え、取り組んでおります。

まあ、保険屋です。それでいいし、それがいいです。だから、長いおつきあいになるので、好きな人探しを続けます♪

 

さて、スタンフォード監獄実験ですが、wikipediaではこう書かれています。

 

1971年8月14日から1971年8月20日まで、米国スタンフォード大学心理学部で、

心理学者フィリップ・ジンバルドー(Philip Zimbardo) の指導の下に、

刑務所を舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、

その役割に合わせて行動してしまう事を証明しようとした実験が行われた。

模型の刑務所(実験監獄)はスタンフォード大学地下実験室を改造したもので、

実験期間は2週間の予定だった。

 

新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた被験者21人の内、

11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を

実際の刑務所に近い設備を作って演じさせた。その結果、時間が経つに連れ、

看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動を

とるようになるという事が証明された。

(wikipediaより引用)

 

この実験、リアルを追求するあまり、パトカーを使って囚人を逮捕したり、指紋採ったりと、それ以上のこともしていて、実際の囚人よりも非人道的な形で進めたと言われています。

で、実際には、単なる「役」であるにも関わらず、看守役は誰かに指示されるわけでもなく、囚人役に罰則を与え始め、独房へ見立てた倉庫への監禁や、バケツへ排便の強制とか、エスカレートしていきます。

 

でも、実験のリアリティーを追求する、主催者のジンバルドーは「仮釈放の審査」という形で、実験を継続していきます。

その中で、精神錯乱などを起こす方も出てくるのですが、それでも実験は止まりません。

囚人役は、皆男性であったにも関わらず、ストッキングを履かされ拘束された囚人役などは、女性的な態度を示したりと、後から検証すると異様なことが起きていたにも関わらずです。

 

さらに時間の経過とともに、実験はエスカレートし、看守役は、囚人役にさらに屈辱感を与えるため、素手でトイレ掃除や靴磨きなどを、ついには禁止されていた暴力が開始されます。

その時点でも、ジンバルドーは、それを止めるどころか実験のリアリティに飲まれ実験を続行していましたが、当時の恋人であり、同じ心理学者の女性が、実験を見学に訪れた際に、あまりの状況に驚愕し、告発をすることで実験は6日間で中止されました。

 

でも、本当に怖い話は、看守役は「話が違う」と続行を希望したという事実です。

主催したジンバルドーは、後の会見で「自分自身がその状況に飲み込まれてしまい、危険な状態であると認識できなかった」と説明しています。

また、実験の被験者(囚人役も看守役も)たちには、実験終了から約10年間、カウンセリングがされ、今は後遺症が残っていと言われています。

 

この事件で証明されたのは「場の力」によって人は「悪魔」にさえなる、ということです。

 

ヒットラーの時代にアウシュビッツで起きたこと、スターリンの時代にシベリアで起きたこと、ポルポトの時代にキリングフィールドと呼ばれたカンボジアで起きたこと、最近では、アメリカ領ではないアルグレイブ刑務所で起きたことの背景は、一緒なのです。

 

この実験は批判されるものと思いますし、現在では禁止されていますが、この実験により証明された2つのポイントがあります。

 

ひとつ目は、「場の力」によって、強い権力を与えられた人間と、力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう。

これを「権力の服従」といいます。

これを利用しているのが、企業という人間関係でも成り立っている組織の職階ですし、新人のトレーニングで言えば、トレーナーとの関係となります。まあ、マネージャーとの関係って言ってもいいかもね。

その「場」が、カリキュラムの多さで固定され、長時間化されていくと、次第にこの傾向が出てきます。

この話って、思い当たる節、経営者の皆さん、ございませんか?

 

ふたつ目は、その「場」によって、役割を与えられた場合は、元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまう。

これを「非個人化」といいます。

そう、トレーナーのいった通りにする、マネージャーの言った通りにする、セミナー講師の言った通りにする、これが、被験者が、自らの意思で、反復学習しているなら良いのですが、行き過ぎると、言われた通りに、その場はできるけれども、言い換えれば、トレーニングの場や、セミナーではできても、「場」が変わってしまうとできない、となります。

この話も、なんか思い当たる節、経営者の皆さん、ございませんか?

 

実は、かつては、社内、社外を問わず、頼まれればセミナー講師などしていました。トレーニングも、ロープレもしていました。でもね、自分の承認欲求を満たすためにやっている自分に気がついた時に、この「場の力」をめっちゃ行使していることにも気づいたんです。

そう、ちっちゃな悪魔が自分の中に芽生えてくるのです。

怖いよ、この状況、ちやほやされるし、気持ちがいいからね。

 

偶然、僕には叱ってくれる方がいたので、気がつきましたが、本当にスタンフォード監獄実験のように、主催者も、被験者も、参加者全てが、壁で囲まれた、そう、閉じたグループの中に囲い込まれていると、気づけないんです。

 

ポイントは、主催者もってところです。

僕が師匠のと思っている方は、それに気がついているんでしょうね。

エクスマの藤村正宏さんも、セミナーはオープンだし、出入り自由だよ!っておっしゃっているし(逆をやってるお弟子さんもいるけどw)、心屋塾の心屋仁之助さん一門(一門でいいのかわかりませんがw)も、出入り自由ですよね。

 

おお、もしかしたら意識して「場の力」に飲まれないでコントロールできれば、ええのかもしれんし、師匠はそうゆうことを、理解されて、クローズにしないようにしていると思うんだ。

 

ということで、気付かせるだけ気付かせて、怖がらせるだけ怖がらせてこのブログは終わりますが(笑)

僕は言いたいのはこれだけ、

 

「まあ、人は独りなんだし、何やっても大丈夫だから、

 学んだら自分でやってみて、

 ダメだったら、ダメだったと素直に言ってごらん、

 何の裏づけもないけど、最大のアドバイスしてあげる」

 

です。

で、そのアドバイスってのは、

 

自分で決めて自分が選んだことなら、

何をやっても「大丈夫」

 

って(笑)だから、自分で自分をヨシヨシしてね♪

The following two tabs change content below.
木﨑 利長

木﨑 利長

ざっきー
1968年名古屋市生まれ。金融機関に勤務。クライアントの事業価値を向上させる事を目的とし、仕事を通して取り組んでいます。
化学メーカーの住宅部門に約9年。1999年2月生命保険会社に、ライフプランナーとして参画。
具体的には、上場企業を含む約80社の親密取引先のご縁を中心に、生命保険契約をお預かりしており、財務や資金繰りといった経営課題ついての改善や、売上を伸ばすための営業研修など、お客様の事業価値を向上させるための具体的なソリューションを提供し、経営者の弱音をも受け止められる担当者を目指し日々精進中です。
 (※このブログでの意見は全て個人の意見であり所属する団体の意見を代表するものではありません。)

記事を気に入ったらシェアをしてね

  • twitter
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket