いつもの電車を逆方向に乗ってみると、日常も非日常に。

今週末は三連休ですね。お彼岸の時期でもありますが、僕はちょっと外せない仕事があって、東京を離れられません。来週、出張もあるから、その合間にお墓参りに行こうと思います。あっ、うちはお墓ないんですけどね(笑)名古屋にあります東別院というお寺に納骨されていているんです。そして僕は、その東別院のそばで育ちました。

そんなこともあり、来週は事務処理できないので、先週末はアポのギリギリまで仕事をしていましたが、急にアポイントがリスケされまして、ぽっかりと時間が空いちゃいました。

以前であれば、自分のために遊びに出たはずなのですが、ちょっと、疲れてたのかな?そんな気持ちにもなれず、珍しく電車でまっすぐ帰ろうと会社を出ました。金曜日の20時過ぎていましたので、ほとんど僕の会社には人はいませんでしたが、大手町のビルはどこも煌々と電気がついたまま、日本のビジネスマンて本当に長時間働きますよね、、、

東京メトロの千代田線大手町駅について、何がどうなったのかわかりませんが、反対方向の電車に乗っていました。その時間だと、僕の自宅の方は、座れるのですが、逆方向だと混んでいますし、まあ、普通気付きますよね(笑)

何でだろう、座れちゃったせいもあるけど、3駅ぐらいして気付きました。

 

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「メトロに乗って」という浅田次郎さんの小説があります、映画にもなりましたよね。確か、タイムスリップして、自分の両親に会う話でした。細かなことは覚えていませんが、両親にもそれぞれの世界があり、縁あって、自分がここに存在している、ということを思い起こさせる内容だったと記憶しています。

「あれ、これ逆方法じゃん」と気づき、どうしようかと思った時に、終点が、とある駅なことに気付きました。その街では、僕が本当にお世話になった方が、現在ワインバーをされている、そんな街です。

ちょうどメトロだし、何かの縁と思い、そのまま電車に揺られ、お店に行ってまいりました。本当にお世話になったのに、なかなか顔を出さない後輩にも、優しく声をかけていただき、ありがたい限りです。

帰りの電車で、酔いに任せながら、頭の中でぐるぐる回っていたのは、このメトロに乗ってという作品と、父との記憶でした。

僕は、意識しないと、お世話になったことや、大事にしていただいたことを忘れてしまうとことがあります。なんというか、恩知らずのところがあるように、自己分析をしています。多分、気にしいなんでしょう、自分がどう見られているのかを、気にしすぎなのだ、ということは、わかっていますが「あること」ができていないので、トラウマになっている部分があるようなんですね。

「あること」というのは僕の父親との関係性の話です。この話が皆さんの何かの役たつとは思えませんが、それでも書くのは2つのことを、僕が身をもって体験したからなのです。

一つは、「人は今しか、時間がない」ということと「例え、この世から居なくなっても、いつでも会える」ということです。とても、プライベートな話なのですが、お彼岸の時期でもありあますし、週末でもありますから、付き合ってくださいね。

 

僕の父は、昭和ひとケタ生まれで、戦後の混乱の中で、代用教員として採用され、ちゃんとした学校も出ずに、通信教育で教師になった人です。そう、学校らしい学校は出ていません。

また、家族のために、働くしかなかったようで、16才の頃から塾を開いたりしてなんとか家族を養い、結婚したのも遅かったので、僕が生まれたのは自分の教え子たちの子供と、同じ年代でした。

祖父も、祖母も、叔母も二人同居しているような三世代の家族で、祖父は宮大工の棟梁でしたから、宵越しの金は持たないし(笑)女性陣も民間宗教に凝っていましてね、多分、父だけが働いていたんだと思います。僕もその頃は子供でしたが、なんとなく変だよな、と思ったことはいっぱいあったことを記憶しています。

というか、高度成長からオイルショックに至る時代ですから、各家庭、いろんなドラマがあったのだと思いますし、ある意味、職人ばかりの街では、ありきたりのことだったように思います。

 

今は、父から愛情を与えられて育ったことぐらいは理解できるのですが、父は、そんな職人さんの街では珍しく(というか生きるために)なんとか公務員となり、教員資格を混乱の時代の中で取ったようで、とても厳しい人でした。そう、自分を厳しく律しないと家族を養えなかったとも思います。

だからというわけではありませんが、褒められた記憶はありません。できて当然、間違えを徹底的に指摘されましたし、できないことのみを指摘されていました。野球部の顧問だったのに、僕とはキャッチボールをしてくれたことはないし、僕が左利きなのを知りません。というか小さい頃に直されたのかな?(笑)野球のグローブは右利き用しかなかったので、当然、野球はうまくできず、今思い返しても、何てことするんだと思いますが、仕事で精一杯だったんだと思います。

 

父は、教師が好きだったのでしょう。生徒さんに何かがあると休日、夜、関係なく出かけて行きましたし、立場的にも頑張るしかなかったのかなと。僕の母方には教師や文部省官僚が多くいる家系でして、その関係で、父は何かと引き立てられ、僕がものごころがついた時には管理職になっていました。親戚一同が集まると、ほとんど話をしない父の姿を見ながら、その意味はなんとなく子供でもわかっていたつもりです。

だから、家庭というのは、一つの本音を出せる場所でしたし、僕にどうしてあれほどまでに、指摘して、他の子と比べたのか、当時はとても苦しかったし、厳しかったし、不条理でもありましたが、今はわかります。父が僕にそこまできつく当たったのは、「できないことができるようになれば、自分の可能性が広がる」ということだったのかなと。

 

僕が育った職人の街というのは、言い換えれば、自営業の方が多くいる街でもあります。景気によって、左右はされますが、当時から貧富の差は激しく、中学から受験とか、留学とか、私立へとか進学する同級生と、何もせず、地元公立というのに分かれます。僕はある学校に行きたいと言ったのですが、ダメだと言われました。理由はうちの家風だ、ということでしたが、お金がないから無理だと母からは言われました。

その当時、友達のうちに遊びに行くと、本当にいろんな家庭がありました。経済成長期というのは、みんなが同じスピードで豊かになったわけではありません。いろんな歪みや、運不運もあったのでしょう、そんな体験が、今の僕の、中小零細企業をリスク(不確実性)からお守りしたい、という今の気持ちに、間違いなくつながっています。これは、子供の頃感じた不条理を発端としている、多分、僕の天命なのです(違うかもしれんけど 笑)

 

こんな風に書いているので、誤解されるかもしれませんが、父は、僕のやりたい、ということに関しては、本気でやりたい!とちゃんと理由を話せたものには、すべてやらせてくれたんです。

ある本が欲しい、といえば、図書館の使い方と、古本屋さんの使い方を教えてくれました。買ってくれませんけど(笑)だから、小学校の頃から、丸善などの大きな書店で新書を眺めながら、その足で古本屋をまわり、新古書を手に入れるとか、1冊100円のカゴからお目当てを探し出すとかしていました。

インターネットも、検索エンジンもない時代に、書籍は知らない世界に出会う方法でしたからね。そんな中、中学に上がる前ぐらいかな、ちょうど、マイコンブームってのがあって、パーソナルコンピューターが出始じめる前ね、NECのTK−80なんていうソフトウエア開発用のトレーニングキットを使った塾(僕以外は、大人で、明らかに企業から研修で来ている人ばかり 笑)に行かしてくれました。どう考えても数十万円掛かる講座です。よくもまあ、出してくれたなと。

この体験は、本来はとても情緒的な思考性を持っていた僕に、論理的な思考性をも身につけことになったきっかけです。それに気づいたからこそ、情報処理の分野だけではなく、人との関係を求める仕事を選んできている基礎になっていると思います。

そう、父は、自分自身は生きるため、生活のため、家族のため、しがらみのために、選んだわけじゃなく、そこにあるものをやるしかなかった人生だったのかもしれません。でも、一人息子の僕には、現状の問題点は指摘するとしても、可能性の広げ方や、その工夫の仕方、それと、本当にやりたいことには投資をしなければいけないことを教えてくれたのだと思います。

よく思い返すと、学校などというものは、代替えがききますが、そのマシン語の研修なんてのは、代替えがなかったですからね(笑)今は、そう理解しています。

 

そんな父も、僕が中学生ぐらいで教頭になり、教壇から離れて完全に管理職になりました。そして、父の中で、何かが狂いました。公務員も、教師も、組織ですから、父の経歴は足を引っ張るものであり、有利に働くわけがないからです。

僕が高校生の時、父は、定年まで数年を残し、職を辞しました。明らかに心を病んでいましたし、父は、先生でありたかったのだと思います。

実は、中学生の頃からは、僕は父と、ほとんど話した記憶もないし、どう接したら良いのかもわからないぐらい、家庭の雰囲気はとても暗く、僕も年を重ねたせいか、記憶そのものが思い出せません。だから、僕は今でも家庭というものがどうゆうものなのかわかっていないところがあるように思います。

 

そんな環境でしたが、父はすごい人で、貯金を徹底的にしてたんですね、母はお金については全く関わっていませんでしたから。そんなこともあり、僕は、誰も働いていない家だったにも関わらす、教育費で困ったことはありません。高校も、大学も行かせてもらいましたし、大学は東京の私立です。よくもまあ、行かしてくれたもんだと、仕事でライフプランニングなんぞやっていますので、本当に凄いなと思います。

 

そんな状況で、僕のお小遣いというものは、小学生までで、それ以降はなかったんです。そんな、お金には厳しかった父ですが、先ほどの本などと一緒で「工夫すればいい」ということで、僕、お小遣いをもらわない代わりに、アルバイトをすることを許してもらっていました。当時の中学生でできるアルバイトというのは、新聞配達です。そして新聞配達というのはいろんな人の生活が見えますし、そこで働いている人生の先輩方の話も聞けます。あれは貴重な体験でしたね。

そして部活動をしていようと、何があろうと、朝早くに起きて仕事をすれば、中学生の生活は維持したままで、中学生にしては大金を稼ぐことになります。(夕刊は配っていなかったので)もしかしたら、このお金を稼ぐ大切さを、労働を通して教えてくれるために、お小遣いをくれなかったのかもしれません。

そして、何か違った視点を持てば「今何もないではなく、今既にあることに気づく」ことができるようになるんだと、身をもって知った原点だったのかもしれません。

高校で家を出ます、東京に行きます、水商売で働いています、会社員になります、結婚します、会社員辞めます、離婚します。

僕が家を離れてから、父と話すときは、そんな父から見れば「こいつは何やっているのか」ということばかり、、、でも、一回も反対されませんでしたし、思い返せば「自分の好きなようにしなさい」と。

子供の頃は、そう言われると、何だか見捨てられ、放り出されたような気がしていましたが、それはそうではないと、今は思います。父自身ができなかった、自分の好きなこと。それを僕に託したのだと思います。

僕は、3年前に父を見送りました。東京で、何をやっているのかわからない馬鹿息子のことを知ろうと、晩年はインターネットも使わず、調べていたようです。たまに帰った時に「名刺を出せ」と言われ出しますと、「MDRTってのは、、、」って話をされて驚きました。どこかで調べていたことが明白ですからね。

 

今日はお彼岸、父に言われた「今何もないではなく、今既にあることに気づく」ことを思い出します。そして、こうやって頭の中で思い出すことで、僕の中では、今でも父とは対話できていると信じています。だって、僕の脳は、そう認識しているんだからね。そして、僕は十分、愛されてきたんだと思います。今頃ですが、わかることができました。あと年々、僕の時間があるのかはわかりませんが、父がくれたこの時間を、自分の好きなことができるように全うしたいなと思います。

 

父さん、来週、ちょっとだけ顔を出しに寄りますね。

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木﨑 利長

木﨑 利長

ざっきー
1968年名古屋市生まれ。金融機関に勤務。クライアントの事業価値を向上させる事を目的とし、仕事を通して取り組んでいます。
化学メーカーの住宅部門に約9年。1999年2月生命保険会社に、ライフプランナーとして参画。
具体的には、上場企業を含む約80社の親密取引先のご縁を中心に、生命保険契約をお預かりしており、財務や資金繰りといった経営課題ついての改善や、売上を伸ばすための営業研修など、お客様の事業価値を向上させるための具体的なソリューションを提供し、経営者の弱音をも受け止められる担当者を目指し日々精進中です。
 (※このブログでの意見は全て個人の意見であり所属する団体の意見を代表するものではありません。)

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